my-ashiatoのブログ

元ヤングケアラーの老親に対する兄妹からの経済DV、モラハラに悩みつつフルタイムワーママと学生してる長女のブログ。悩みながら進む日々すら楽しむ為に作成してみました。

かつての生家の事・1

かつて、生家はどんな家庭だったか、書いてみます。

 

私は、子供時代ヤングケアラーで、

アダルトチルドレン と呼ばれるような家庭環境に

育ったのかもしれません。

 

とは言っても、アル中とかの両親ではなく、

主に男尊女卑家庭。

家族の構成員に自己中っぽいメンツが多く、

協調性や協力意識の乏しい面々。

5人家族。子供3人の内訳は長男、妹2人。

戦後直後生まれの両親。

 

戦中の男児を家の後継ぎとして、優遇し、

女児には節約の為に与えない物などを与え、

手伝いなどの家事は男児については免除する傾向、

という夫婦の方針のようでした。

 

自己中・協調性の少ない、父と兄、妹。

兄と妹は努力家とは言えない感じの、

働かない系の好き勝手していたいタイプでした。

そういう手合いについて、

母はそれを許容出来る忍耐力を持って無かった。

 

子供の私にとっては都合の悪い事に、

彼等は相性が悪かったのでしょう。

 

3人の振る舞いに、母親は堪忍袋が耐えられず、

しょっ中、ヒステリーを起こして泣いたりで、

雰囲気が悪く、しかし父親と兄妹は我関せず

知らんぷりか、気に止まらない性格なのでした。

 

しかし、私にとっては、

私自身が何もしてなくても、妹と兄のやった

母の我慢出来ない事への怒りの巻き添えで

自分の身の回りや大事にしている物などを

手当たり次第、屋外に放り捨てられたり、

怒られたりと言った日々でした。

しかしながら、怒られたからと言って、

反省しないのか、出来ないのかの兄と妹に、

母の精神はオーバーヒートするばかり。

 

連帯責任だから、ごめんねと言われて、

兄と妹に反省を促す為に何もしてない私も、

冬も近づく11月の深夜に屋外に締め出されたりも

有りました。

巻き添えの他に、家族が家庭外にやらかした事へ、

両親が自分自身が謝罪役をしたくないから、

私に代わりに謝りに行かせたり、

怒られ役なんかをする羽目になる子供時代でした。

 

連帯責任。その条件に

子供の私は神経を張り、家庭内のバランスを

とる事に必死になったのでした。

面倒になって、放っておいた時もありましたが、

その場合、最終的に、最後に私に被害が及び、

騒ぎが大きくなる前に上手く解決しよう、

となったのでした。

 

家に居ても、耳は常に階下の母の物音に

気をむけていて、母がキレそうな様子の物音を

察知すると、すぐに飛んでいき、

手伝ったり宥めました。

問題が起きないように。

自分の大事な物を酷く扱われないように。

平穏の為に、家庭内の運営を手伝う為に

奮闘の日々。

兄と妹は勉強嫌いで成績が悪く、

他所の子にちょっと良からぬ事をしたりと

教師からの注意を受ける問題児だったようで、

2人はそれぞれ、ちょくちょく問題を起こしました。

母には母自身がかつて劣等生だったから、

子供には優秀であって欲しいのに、

と言う強い拘りを持っていた為、

泣いたり怒ったり悩んだり、

日々忙しかったように思えます。

 

父は妻の話し相手をするような人では無く、

自分の好きな趣味の事を優先する性分で、

我関せずでした。

それも有って、母は育児の悩みを1人で抱え、

持て余していたのでしょう。

 

私は、せめて自分だけでも、

学校で品行方正でいい子と評価される事で

母親のヒステリーの頻度をそれ以上上げない為に、

一生懸命勉強し、手伝いをしました。

安全で心穏やかな暮らしを願う一心で、

小さな母親かメイドか召使いみたいな存在でした。

 

色々有りましたが、

家族の召使いのような暮らしを

いつまで続けるのか、24の時に、

干支が2回回ったし、私は今までそれなりに

家族に貢献し働いた、これからは自分の為の人生を

生きよう、きりがない。と判断して家を出ました。

 

私が、中学、高校と、将来の自分の進路について

考える時期に父は、女の子なんだから子供を産んで

家に帰ってくるだけなんだから、

将来なんか真剣に考える必要ない、

と優し気に笑いながら私に言いました。

 

恐らく、親切で寛大でステキな父親像の

親心のつもりで、父としては愛情たっぷりの

気持ちで言ったのでしょう。

 

女は子供を産むだけ、

なのに何を将来について考える必要性あるのか、

そう、考える事自体を笑われる自分。

この価値観で娘と言う人間を見ている男性とは

話をしても、噛み合わないだろうと思いました。